フィンランド大使館の独立記念日パーティー












金曜日は、フィンランド大使館でのパーティーでした。

12月6日は、フィンランド独立記念日です。

これは、フィンランドがロシアから独立した日です。
やっと、苦難の末に自分たちの国を持つ事が出来たという意味で、
生まれたのが、あのフィンランディア讃歌ですね。

ずっと、フィンランドは、ロシアから鎖につながれて、圧制に苦しんでおりました。

フィンランドは、独立してから、まだ、100年たっていない国です。

日本での、こんな小さなフィンランド社会が、こうして、この場所で、凝縮して、交流しているひと時でした。

ここ数年で、日本にいるフィンランド人は、ものすごく増えたと聞きました。

(ちなみに、フィンランド全土の人口が、東京の人口と同じくらいです。)

写真は、新しく来た・・・・・ヤリ・グスタフソン大使、その大使夫人です。大使夫妻と。。
アッツォ・エリカイネン牧師と。

フィンランドの国の国旗とEUの国旗と日本の国旗の前で。
フィンランドの旗がついたクリスマスツリーの前で・想いを強くしました。

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まだまだ、日本とフィンランドは、国境的に、大きな壁があることでしょう。

移住権をおさえたわたくしでさえも、その海外の広さで学んだ伝統技術を否定してまで、
日本にあわせようとしていますが、本質的なところでは何も変わってないと思います。

それと同じように、私は、自分自身で信じたものは、とことん、これからも追求していきたいと思います。

日本とフィンランドの架け橋になること、

それは捨てたわけではありませんが、

体力が衰えるにつれて、難しいことです。

政治的な力も実感いたします。

でも、やっぱり、自分のいいと思ったことは、信じ続けるべきなのだと思います。

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そういえば、わたくしごとで、申し訳ないのですが、
ふと、思い出したのですが、
日本に帰国後、フィンランド留学中もそうでしたが、いろいろと、反対された出来事がありました。

今、ユーロに変わり、一番、上がり始めた時期・・・やっても仕方ない・・・
移住権、許可落りない、ざまみやがれ みたいな・・・

まして、外国人への窓口は狭くて、北欧には、声楽部だけ、音楽院の外国人の受け入れ体制がなくて、
全ては、プライベートレッスンでした。
ここの国で勉強するのは、本当に、プライベートレッスン以外、ありえなかったのです。
先生も、私が始めての日本人の弟子ということで、まだ、日本人になれていませんでした。
言葉は、全て、フィンランド語でした。

フィンランドの国の学力のレベルが高いのは、ある意味、福祉国家という理想論を突き通している変わりに、女性の労働力で補っているのです。

なんとも言いがたい、政治体制に慣れるのが、大変でした。

音楽に関して言えば、
今までの規制の団体ではなくて、
私は、私の道を、今の時代にあった感性で、訴えかけていこうと思いました。

それから、毎月のように、自分自身の思い、世界に対する願い、
広さを訴え続けるために、自分から率先して、自分自身のリサイタルを開催しました。
フィンランディアー平和の讃歌ーを、毎回の如く、歌い続けました。

大きなリスクを背負うと同時に、(それをいったら、全てのことがリスクですから。
留学も、コンクール受験も、オーケストラ設立も、医者開業も、会社設立も!)
なんとか、最後、帳尻を合わせて、今日まで至りました。
http://www.finland.or.jp/Public/default.aspx?contentid=144651&nodeid=41275&contentlan=23&culture=ja-JP

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こんど、わたくしは、2月24日に、サントリーホール(ブルーローズです)
リサイタルを開催いたしますが、なんと、大使館の公演名義が、
一日で、降りたことをうれしく思います。

誰しもが、NOを言われた時に、やり通してよかったと思える瞬間でした。
自分のやってきたことが、本当に信用されたんだと。笑
(まぁ今までも、降りるまで、2.3週間でしたが・・)
どんなに反対されても、行い続ける、自分自身の歩いた信じた道を信じ通す、
それこそが、強さなのだと思います。
それは、大変、孤独なことですが。

誰しもが道をひいたものはいない、反対されている時は、
暗闇の中を歩いているようなものですが、
そのうちに、誰も何も言わなくなり、認めるようになります。
必ず、思いもかけない時に、チャンスが訪れるものなのだと思います。

私の専門分野のひとつ、フィンランド歌曲、
本当の実力をもって、真のフィンランド歌曲を語れるのは、恐らく、
日本で彼女くらいしかいない、と言ってくださいました。
(私の後を追って、数々の優秀な歌手は生まれています。)

初めての慣れない北欧の土地で、私一人で、王御所の先生を説得に行ったこと。
そんな日々のことを、懐かしく思います。
数々の遠回りをしてきたけど、そんな日が来て、うれしいのです。