第3章アヴェ・マリアの教会コンサート 「主よ、人の望みよ喜びよ」「心の翼」




昨日から、体がきしみます。

のどに負担をかけない生活を心がけて
のどに負担をかけない歌い方を、マスターしましたが、
反対に、体中の筋肉を使います。

いつも、私なりに、いつもお客さんに喜んでいただけるようにプログラミングしています。
私自身が、赤字をかぶっても、お客さんに喜んでいただきたいという思いで一杯です。
お客様の立場になってプログラミングしてます。
また演奏会全体の客観的流れの計算もしています。

第3章は、歌の世界に没頭しながらも、その数秒後には、
全体のバランスや配置、客観的な持っていきかたに、
ものすごく気を使い、演奏会は成功したようです。

そうです。アーティストは、自分をプロデュースして、他人をプロデュースして、
音楽をプロデュースして、演奏会をプロデュースします。

そういえば、ある人が、言っていました。
どんな一流になっても、どなたかがプロデュースする方がいても、
主体となる方のセンスが現れるのだと・・
チラシひとつで、
その人間のセンスが表れると・・・

今回は、4人がどうしたら、それぞれの持ち味を出せるのかを考えました。
どうしたら、嫌味にならずに、自然な形でもっていけるのか、
どうしたら、お客さんが、あきずに2時間聞くことができるのか、

ひとつの世界だけでなく、たくさんの色を交えました。
全ては、センスなのだと思います。

終わった後に、ある方とお連れ様の方と3人で食事しました。

「また、今回のプログラムは計算しつくされているから、また、どこかで使えるよ。」
と言って頂き、キャー、ラッキー。

・・・でも、そんな日がくるのでしょうかね。

たまたまの偶然が重なり合っただけの結果ですから。
その種の成長は、どこで結びつくかわかりませんが、
世の中に評価されるべきものなのか、
そうでなくて、終わってしまうものなのか、わかりませんが、
とにかく、第3章は、今までで一番、良い出来だと皆さんに言われました。

間に誰かが入っても、
最後の全部の責任は、表に出るアーティストが背負っているのだと。

主幹牧師本多先生にも、4人でこころをあわせた 
「主よ、人の望みよ、喜びよ」だったと言われて、本当にうれしい。幸せ。

アヴェ・マリアの第3章の目玉曲は、バッバの「主よ、人の望みよ、喜びよ」と、「心の翼」でした。

この日は、「心の翼」の世界初演の日でした。
お願いして、1年・・・
やっと、1年かけて説得した、「心の翼」でした。
やっぱり、何度もお願いしてよかった。と思える瞬間でした。
結果は、大成功でした!

あなたのその笑顔 
私はいつも救われる
夜空の星さえも あなたに見える事はない
心の翼ひろげて あなたの目になって 
美しい星空を描きます
いつまでも

木の上 鳥たちのさえずりさえも聴こえない
あなたの側にいる私の手さえ掴めない
心の翼ひろげて あなたを抱きしめて
大空に舞う夢を伝えます
私の愛

なんとなく、「こころ」の曲に詩がついてしまいました。
これは、目も見えない、耳も聞こえない、手足も動かない子の面倒を看る立場になって書いた詩です。

ただ、本当の意味で、目が見えないのは、健全な私たちの方かもしれません。
天の神様の声が聞こえないのは、彼らたちよりも、私たちなのかもしれません。
ヘレンケラーのように、目が見えないから、心の中で真実を見ることができるし、
耳が聞こえないから、真実に耳を傾けることが出来るのかもしれません。

この歌を歌っていて、なんだかとても苦しくなってきました。胸が苦しくなってきました。思い出したくない過去まで思い出してきました。でも、アーティストは、舞台上は、感情におぼれては歌えなくなってしまいます。というか、最近は、それらの思いを通り越して、現実をどう動かしていったらよいのかを考えています。それらは、幸せなことですね。それに、この世の中自体も、感情に溺れては生きていけないところです。アーティストにとって、舞台上とは、技術をコントロールする場所です。

そんな不完全な肉体を通しながら、
何か言葉に出来ない思いや叫びを伝えて行くのがアーティスト・職人なんでしょうね。

最近、ぷりもちゃんのひとり言と日記の区別がつかなくなってきました。
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