モスクワ音楽院大ホールとデパートの中


初めからロシアに来ればよかったのかなぁ・・とは思いますが、(外国人が入りやすいロシアでは、経歴もつけられたのでしょうね・・)とは思いますが、非常に遠回りをしてきた自分にとっては・・

学生時代は、ドイツ芸術に関しては、論文を書いたこともありました。
一生懸命、シューマンブラームスの演奏解釈や詩について勉強していました。
フランスオペラ「カルメン」について・・それが卒業論文でしたし、スイスの作曲家オトマールシェックについても研究発表したことあったなぁ・・。

日本オペラ「あまんじゃくとうりこ姫」も・・
甲高い声で「おら・・あまんじゃくで、ねえでや!」とかセリフの練習をしていました。
・・ずぼんはいて男の子役を演じたんですよ。(^^)
自分のことをうまく表現できないから、人まねばっかりしてしまうそんな男の子かわいい存在なのですが・・
それで、みごとオペラが嫌いになりました。!(>_<)(笑)

学生時代、歌手でありながら役者でもありました。
舞台根性は、徹底的に叩き上げられました。

そして、私自身は、精神的な歌曲の世界に・・没頭しました。

それ以来、オペラの世界は封印しています。

そういえば、ポーランドは最近、EUに加盟したそう・・
エストニアも最近かしら?・・あのあたりの国の方は、みんな第1外国語としてロシア語を話せるんですよね。ただ、彼らたちは、死んでもロシア語を話さないんですよね・・いろいろと共産主義のつらい時代があったからなのかもしれません。

私のパスポートはすごいです。スタンプだらけ・・10年パスポートがもう、3年でいっぱいです。(^^;

考えてみれば、このビザの申請とかぜーんぶ、自分でやってきたんだから、ほんと、外国文化を輸入してくるオペラ歌手は、体力が必要です。

アメリカのカーネギーホールメトロポリタン歌劇場は憧れる。
どんなに体が小さくても、世界のNO1に触れてみたい。
私は、いつも一流もめざしてきましたし、フィンランドでもロシアでも、その名実ともNO1の先生のもとで勉強してきました。それは私は、35歳までに関わること。

それにしても海外からの引越しって、本当に大変なんですね。電圧も違うし、フィンランド在住の時は、全部、電気製品を買い直さないといけなかったですし・・

日本に戻ってから一番、食べたいのはおさしみ・・
よほど飢えていたのかと思うくらい・・
おしょうゆや豆腐が恋しくなったり、おせんべが食べたくなったり、おそばが食べたくなったり、折り紙をしたり、日本こけしを見たり、そんなふうにして日本への思いをおさえていました。

海外と日本を往復していると、想像のつかないことが多いんですね。本当に・・

25歳からずっとオペラの世界は封印していました。
学生時代のつらい思い出があるからですが、
だけど、これからは、現実的な世界に入って生きていきたいです。。