音大生1

もう、音楽大学を卒業してから、6年の歳月がたったのかと思います。まるで、昨日のことのように思えますが、遠い昔の日々のようにも思えます。

クラシックの王道の道、徒弟制度まっしぐらの道を歩き続け、その世界にどっぷりと漬かりきっていた6年間でした。
発声のこと、言葉の発音のことで、研究して、あがいていた6年間でした。
オペラにも現代曲にもチャレンジしました。

留学してからも同じです。来る日も来る日も、レッスンに通い続け、コンクールにもチャレンジし続けました。

実は、あの頃、ほしかったものは、今、ほしくありません。

そんなものです。人生は、いつも、そう・・・


もともと、音大に行くことを意識し始めたのは、高校2・3年生の時からでした。その頃は、全く違うことを考えていました。医学の道も興味ありましたし、サウンドオブミュージックなどの映画も好きでしたので、女優にも憧れていた時期もありましたし、音大受験は物心をついた頃からの決心でした。


人間の肉声・・体が楽器となり、言葉ある芸術・・・これ以上の芸術はないのではないか?と思うようになり、声楽科受験を高校3年の時に志しました。
ピアノの素養は多少、ありましたが、他の聴音、ソルフェージュ、新曲視唱などは、生まれてはじめてのこと・・・必死に勉強しました。
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私が、入った大学は、東京音楽大学というところだったのですが、そこの演奏会コースに特待生で入りました。ですが、それが、人生の間違いだったのか、良かったことなのかはよく分かりません。その環境が、自分にあっていたかも疑問です。
その演奏家コースが、純クラシックの王道を行くスタート時点となりました。それは、狭い世界での競争社会だったような気がします。
そして、大学院1年のときは、超難しい、現代歌曲にもチャレンジしました。今で言うと信じられないような、無調のもの、ピアノもシャープもフラットもめちゃくちゃな技巧を凝らしてちりばめているもの・・・何でもチャレンジしました。これは、演奏家コースとは関係なく、私自身の好奇心からのチャレンジでした。

音楽大学ごとの技術の特色があるとすれば、わりと、東京音楽大学は、正統派らしいです。

例えば、某音大は、声量だけが大きい とか、理論や理屈がすごい とか、初見が優れているとか、メディアに出やすいとか・・いろいろあるらしいですが・・

次は、留学についてです。