1人
例えば、これから、死んでいく人に、なんて手紙を書いたらよいのでしょう・・
恐らく、彼女は、人生を振り返っているのだと思います。
恋・・文学、芸術、・・死に向かって生きていって、時間があって、そんなとき、美しくて、楽しかった思い出しか、思い出したくないのでしょう。
そうして、初めて、この世の美しいものに、目を向けようとするのではないでしょうか?
手紙を読めるだけの健康があれば、別ですが・・
肉体な衰えます。人間である限り、生身の肉体ですから、朽ちていきます。
ですが、魂は死んでも残ります。美しい音楽も、死んでからも、生き続けます。
人間は、みな不完全です。不完全に生まれて、不完全に死んでいきます。
その間に、勉強をし、恋をし、子供を授かり、子供を授からなかった人は、弟子を授かったり、仕事を授かったり、弟子を育てたり、この世の美しいものに目を向けたりして、晩年をすごし、この世が終わります。
私は、そこに人間の偉い、偉くないというのは、ないと思うのです。
あの人は、尊敬されて死んでいったとか、嫌われて死んでいったとか、
戦争の犠牲になり、屍になって、死んでいったとか・・それは、新しい時代を作るために、時代の犠牲になったのですよね。
だからね、
悲しいことが起きたときとか、すれ違ってしまったときとか、勘違いや、戦わないといけない瞬間とか、終わりとか、始まる時とか、
大きな宇宙から見れば、それは、0.0001パーセントの微粒子の時間に過ぎないもの・・
なのに、なんで人間は、欲深かったり、涙流したりする生き物なのでしょうか?
ただ、そこでは、うまくいっていたのが、場所、経済、健康、人間関係、時世が、変われば、うまくいかなくなることもあるみたい。
必ず、そういう時が来る。
出会うときは、いつも、続けていこう・・努力しようと思う。
なのに、移り変わっていくのは、どうしてでしょうか。
始まりはいつも、幸せだけど、終わりはいつも、悲しいのは、どうしてでしょうか・。
生まれるときは、おめでたいけど、死ぬときは悲しいですね。
出会うときは、うれしいけど、別れるときは、悲しい。
どんなに詰まれても、そこに思い出があり、時間があり、心が通い会う瞬間があれば、別れは、悲しいものは、悲しいものです。まして、何も、言う余地がなければ・・
私は、ただ、音楽に純粋に生きてきただけ。
ああ・・だけど、私の言うことよりも、周りのいうことを効いたんだとか・・いとも簡単に、信頼関係が崩れるものなんだ。とか思ったりだとか、
私よりも前に出会った人、私よりも歴史の長い人、私よりも力がある人・・そちらの言うことを信じたんだ・・とか・・
ああ・・あの心が触れ合った瞬間より、そちらの方が強かったんだ・・と思ったりだとか・・
この人だけは、違うと思ったのに・・とか・・
裏切られたと思ったから、何か自分を守る行動に出たら、おかしくなっていて、でも、これも、そういう運命だったのだろうと思ったりだとか・・
だって、この裏切られたと思うのは、人間の怠慢なんですよね。
だから、最後の判断は、自分でしなければならないと思います。
だから、やはり、人間は、1人なのだと思います。
人は、1人で、生まれて、一人で死んでいく と言いますが、まさにその通りです。人生は、出会いと別れのエチュードみたなものです。私は、音楽をやっている人間ですから、ただ、悲しいと思います。私は、芸術家なので、人間に対して、情が深いのかもしれません。
心情に敏感なのかもしれません。それによって、涙を流す時間があってもよいのではないでしょうか?
でもね、たとえ、そういう経緯があって、どういう嘘があれ、そちらの方を信じてしまっても、それでも、乗り越えられる仲や縁もあるかと思います。
心と心がつながっていればの話ですが・・
あの時は、あの時なりの真実がありました。
それでも、最後は、許しあうことが出来るのが、人間ですから。
私は、基本的に、芸術は、弱者のためにあるものだと思います。健康で、強い間は、人間は、もっと、現実的なものに目が眩むでしょう。
でも、最後に残るのは、芸術しかない・・音楽しかないと思うのです。この地上に肉体はなくなっても、美しい音楽は残ります。それと同じように、
美しい魂は、死んでも、残るものだと思うのです。
人間は、1人です。
この世の人生、恋は、
「幻想」です。